« 2011年12月20日 ユーロ危機で分かったこと・・・その二 | メイン | 2012年1月20日 今年の経済は難しい、だが鍵は米国だ(下) »

2012年01月05日

2012年1月5日 今年の経済は難しい、だが鍵は米国だ(上)

YAMAMOTO・レター

環境×文化×経済 山本紀久雄
2012年1月5日 今年の経済は難しい、だが鍵は米国だ(上)

今年の各立場から見た日本経済
新年明けましておめでとうございます。
まず、2012年の日本経済はどういう展開となるのか。それを各立場の予測を整理してみることから始めてみます。

①経営者⇒社長アンケートによると国内景気は「悪化している」と「横這い」で76%を超え「順調に拡大」はゼロ回答(2012年12月26日日経新聞)。日本航空の大西社長は「今年の景気について『こうなると言い切れる胆力のある経営者は今いないのでは』としつつ『悪いという見通しで構えをつくる必要がある』と発言。(2012年1月3日・日経新聞)

②民間エコノミスト⇒歴史的な円高や欧州債務危機などのリスクを抱えながらも、日本経済は実質2%前後の成長軌道で推移するとの見方で一致。(日経新聞2012年1月3日)

③日銀短観⇒日銀が12月15日発表した12月の企業短期経済観測調査(短観)は、日本経済が、急減速海外経済と比較的堅調な内需の綱引きになっている状況を浮き彫りにしている。

④政府財政投資⇒復興需要投資に加え、2012年度予算案で公共事業費が実質的に11年ぶり前年比11.4%増に増える。
経営者は弱気、エコノミストは条件付けながらも順調に推移すると見ています。

不透明要因は世界経済

昨年当初、日本経済は順調な歩みを始めたと思った途端、東日本大震災と原発問題危機、続いてギリシャから始まった欧州危機、タイの洪水危機と続き、加えて、超円高がのしかかり、苦しみの経済運営でした。

今年はどうか。国内要因からは大きな不安要素は見当たらない。返って復興需要の本格化と、公共事業費増がある上に、予てから批判の的であった日銀が、マネタリーベースを増やしたという変化、これは日銀が政府と協調して円高緩和策実施であるが、これが続けられれば円安局面に転じる可能性が高くなるので、日本経済にとってはフォローとなる。

しかし、問題は海外経済である。先の見えない欧州ユーロ情勢、米国の景気回復懸念、中国の景気減速傾向など材料に事欠かない。さらに、昨年の3.11のように、現実の世界は予想できないことがおきるから、先を楽観的に見通すことはやめた方がよいだろう。

だが、期待しないという条件下で「予想を裏切る景気回復」もあるかもしれないという「嬉しい誤算」も視野に入れておきたい。

意見が分かれる米国経済

欧州危機状態はしばらく片付かない。だから期待できない。中国はバブル崩壊という状態になったとしても、日本と違って土地は国有であるという前提条件で考えれば、それは上物のマンションバブル崩壊であるから、景気減速といってもそれなりに経済は動いていくのではないかと予測する。だが、米国の先行き予測は難しく、見解は二つに分かれる。

①米国ではリーマンショック後のバランスシート不況に苦しんでいる。2008年初めから四半期ベースでみた実質個人消費の伸び率は年換算で平均0.4%にすぎない。家計が貯蓄を十分に増やすには、まだ何年もかかるだろう。それまで債務が重荷になって米経済は低成長が続く。(モルガン・スタンレー・アジア会長 スティーブン・ローチ氏)
足元の指標が意外にしっかりしているが、長続きするかどうか分からない。家計の過剰債務が多く残っている間は低めの成長が続き、力強い回復はなさそうだ。大きな資産バブルが崩壊した後の典型的な現象だ。(元日銀副総裁 山口 泰氏)

②米経済は改善し始めた。個人消費にも強さが見える。米経済は下振れリスクよりも、上振れして驚くことになるのではと考えている。米国は世界で最もビジネスをしやすく、最高の大学と技術力を持つ。起業家精神も不変だ。成長力を取り戻せる。(JPモルガンCEO ジエイミー・ダイモン氏)

米国経済がジエイミー・ダイモン氏の発言通りになれば、日本経済にとって一つの大きな明るい条件となる。そこで、同氏が強調する起業家精神について、実際にお会いした起業家二人を紹介することで、米国経済実態を検討してみたい。

湿板(しっぱん)写真家ジョン氏(John Coffer)のビジネス

昨年11月末、ニューヨーク州のもう少しでカナダに入るという僻地に向かった。目的は湿板写真家ジョン氏のところである。

龍馬.JPG
 湿板写真は坂本龍馬の写真で知られている。この写真は高知県桂浜にある坂本龍馬像のモデルとなった写真で、1866年または1867年に長崎にあった上野彦馬写真館にて、井上俊三が撮影したもので、高知県立民俗歴史資料館所蔵品である。著作権の保護期間が満了しているので、各地で使用されている。

湿板写真は1851年にイギリスのフレデリック・スコット・アーチャーが発明したもので、撮影直前にガラス板を濡らし、乾く前に現像する必要があるため、写真乾板の登場とともに市場から姿を消したものである。

技術的には、ヨウ化物を分散させたコロジオンを塗布した無色透明のガラス板を硝酸銀溶液に浸したもので、湿っているうちに撮影し、硫酸第一鉄溶液で現像し、シアン化カリウム溶液で定着してネガを得る。日本語ではコロジオン湿板、または単に湿板と呼ばれる場合も多い。今のデジタル写真に慣れ切った我々には、手間と時間と設備が撮影に必要なので全く異次元であり、手が出ない写真撮り技術である。

朝の9時過ぎ、木組みでつくったジョン氏の粗末な門の前に立つ。門の下に太めの材木を数枚地面に並べ、そこに長靴が置いてある。雨が降ったのか地面がグヂャグヂャで普通の靴では歩けないので、長靴にはき替えようとするが、材木の上ではよくできない。

困っているとジョン氏が体を寄せて肩につかまれという仕草、それに甘えてようやく長靴に履きかえられた。長靴でも歩きづらく、道とはいえない地面を歩いて行くと、ひとつの小屋の前にたどり着いた。見るからに粗末な小屋。全部丸太組である。中に泥長靴のまま入る。

ジョ008.JPG
ン氏の第一印象は仙人。優しい眼をしている。眼鏡越しに見る眼が柔らかい。眼は過去の生活体験が顕れるものだ。この土地は26歳の時に買った。1978年であるから、年齢を計算すると今は59歳だ。敷地は50エーカーある。約6万坪となる。広大だ。当時は安くワイン醸造業者から買ったという。今は高いので買えないともいう。

ジョン氏は小屋の中で、バターとシロップかけて朝食のパンケーキを食べている。シロップはカエデの木から煮詰めてつくり、黒砂糖や牛乳もつくる。そのための大きな装置もある。机らしき上にはいろいろな瓶とか缶が重なっていて、僅かな残されたスペースで食べている。食器はフライパンのまま。ジョン氏は全て自給自足生活。

ジョン氏が語り出す。昔フロリダで5・6年暮らした後、1978年の26歳まで7年間米全国を放浪した。
プロテスタントのメソジストが使っている馬車での一人旅である。

キャプチャ.JPG
お金を持たず、お腹を空かした旅で、生きる最低限ギリギリの生活だった。一年間2000ドルしか使わない。自分の食事代のみ。 馬の餌は道端の草と時折街道筋で餌の提供を受け、自分も食事とシャワーの提供を各地で受け、元々写真家を目指していたので、各地で肖像写真を撮影し稼ぎ、生活費とし、何とか旅を続け、歴史・古いもの・昔の技術を調べているうちに湿板写真をみつけことができた。

 ジョン氏訪問は次号へ続く。今年も世界から日本を見る視点でお伝えして参ります。以上。

投稿者 Master : 2012年01月05日 08:50

コメント