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2006年04月05日

2006年4月5日 劣等感と伝統力

YAMAMOTO・レター環境×文化×経済 山本紀久雄
2006年4月5日 劣等感と伝統力

劣等感
今フランスは、初期雇用契約を盛った新しい雇用法「機会平等法」反対の、全国ストとデモが発生し大変な騒ぎですが、二月末から三月初めに開催された農業祭は例年通り盛り上がりをみせていました。初日にはシラク大統領も出席し、まずフランスの地ビールを試飲すると、ワイン業者から「こっちに来てワインも飲め」と声がかかって、会場内を笑顔で楽しんでいましたが、今では全土の大混乱によってシラク大統領は苦境に陥り、ドビルバン首相とともに支持率が低迷しています。

パリ農業祭では日本人女性とフランス人男性の新婚カップルと、一緒に会場内を廻りました。彼女は三年前にパリに来ました。フランス語を全く分からないまま、パリに来てブティックで働いたのです。今回の争点になっているフランスの雇用方法、まず、最初は無給で働き、そこで働いている間に自分にあった職業を決めていくスタージュ(stage)で頑張りました。その過程でこの男性と出会ったのです。
フランスに来た当時、彼女の中に「何かのフランスに対する意識」が潜在的にあったといいます。フランスというより欧米に対する認識感覚です。一言でいえば「劣等感」と表現する内容になると思いますが、自分の内部にある何か欧米人に圧倒されるような気持、それを持ったままフランスに来ました。
しかし、ブティックで働き、そこで力を発揮し、経営者から認められ始め、結婚した男性との交際も始まった頃から、自分の中で気持に変化が起きていることに気づきました。その変化の始まりは、周りのフランス人が彼女に発する「日本の伝統文化」に対する質問からです。日本という国が持つ伝統文化、それへの説明・解説を求められることが多々発生し始めたのです。つまり、フランス人は日本という国に対して「伝統文化に優れた国」というイメージを持っていて、その内容を理解したいために多くの質問を彼女に発したのです。だが、彼女は的確にすばやく相手の質問に回答はできなかったと述懐しました。フランス人の質問に対して回答し説明できる「日本に対する理解力」を有しないまま、フランスに行っていたことを相手からの質問で深く強く認識し反省したのです。
しかしながら、その反省の過程で彼女の感覚は大変化しました。全く正反対になったといってもよいと思います。それは、日本の「伝統文化」に対する自分自身の再評価をとなって、日本で生まれ育ったすばらしさに気づき認識し、そこから徐々に自然に「劣等感」というものが消えていったと言うのです。
同じことは他の在仏日本人からも聞きます。地方都市で生活している日本人女性、フランス人と結婚していますが、最近は地元企業から日本文化について講演を依頼されることがあり、日本への関心は高く、その講演と説明のために参考書籍を紹介してくれないか、という依頼がこちらに来るほどです。
私もピレネー山脈のリュション温泉、そこで市長以下幹部に同様の講演をしたことがありますから、日本に対する関心度の高さは本物であると感じますし、関心の背景は日本の「伝統文化」の豊かさから来ているのです。

日本の伝統文化発生は江戸時代
現在の日本が世界で評価されている背景には三つの要因があると言われています。第一は伝統文化であり、第二は世界の若者を惹きつけているポップカルチャーとしてのクール・ジャパン現象であり、第三は非軍事による対外協力である。(ハーバート大学ジョセフ教授)この中の第二のポップカルチャーもその源流をたどって行けば、それは伝統文化として栄え確立した江戸時代につながっています。ですから、日本の伝統文化の源は江戸時代にあるのです。
山岡鉄舟の連載をしております関係から、幕末が中心ではありますが江戸時代を分析していますと、従来、語られてきた実態とは異なる江戸時代のすばらしさが分かってきます。
これは既に多くの事実で、多くの識者によって解明されだしましたが、それとともに、今まで伝え語られてきた内容が「ある立場」からなされたということが分かってきます。
それは、明治維新政府が新しい日本をつくりたい、その目的としての方向性は「国家の西洋化」であったために、それ以前の江戸時代政治を、とかくマイナス的に評価する教育をおこなってきたことです。江戸時代は民衆を圧制し、農民に対して苛斂誅求の政策で臨んだ、というような解説が多くなされ、それを受け入れてきたのが今までの実態でしたが、実はすばらしい豊かな社会であったというのが、最近の歴史研究で明らかにされているのです。もちろん事件はたくさん発生し、異常気象によって飢饉はありました。その事例を持って徳川政治は百姓や一般庶民が食えない貧しい生活を強いた、という見解には問題があります。その大きな重要な視点は米の生産量です。江戸時代の初期は全国の米生産高は1800万石であったものが、幕末の天保期になると3000万石に増加しているという事実です。この事実を見落としてはならないのです。それは、江戸時代は基本的に平和であり、平和であったからこそ農民は米生産増に邁進し、勤勉に働けたから米の増産に向かったのです。国の政治安定なくして食料安定は図れません。
また、この食料事情の安定化がなされたからこそ、今に評価されている日本の「伝統文化」が興隆したのです。文化興隆の背景には政治・経済の安定が必要条件です。
つまり、明治維新後に展開された「西洋化」としての「近代化」が開始される以前の、江戸時代の伝統社会の最も成熟した姿、即ち「西洋化」の影響を受ける以前の伝統社会の純粋な姿が、今、日本の「伝統文化」として外国から高く評価され、世界各地から関心を持たれ、冒頭のフランスに渡った若い日本人女性が多く質問を受ける内容なのです。

劣等感はなぜ形成されたか
 今年の九月にニューヨーク(NY)で「ぬりえ展」を開催します。その準備を行っていますが、最も苦労していることにアメリカの実態研究があります。NYの人々にぬりえを紹介するという仕事、そのために必要な前提は「NYの人々の感覚」の把握です。つまり、アメリカ人とはどのような思考プロセスを構成しているかという検討なのです。この検討なくして案内文書は書けません。そのため相手の立場研究が何よりにも優先するのです。
 まだ十分ではありませんが、分かったことに欧米人の自己主張の強さがあります。積極性ともいえますが、自らの優位性をまず主張することを優先する思考です。その結果として生み出される行動は「可能性にたいして積極的(アグレッシブ)であること」であり、それを片時でも疎かにすれば、じっと立ち止まっていることさえ許されなく、立ち止まればたちまちおし倒され「負け組」となっていく競争の激甚さです。すごいと思います。
 これが欧米人の人種優位性をも主張させ、それを彼らの頭の中に認識させ、その結果アジア人に「劣等感」ともいえるものを植え付けさせていったと思います。これは欧米人の人種優位性主張の歴史をたどってみればすぐに分かります。例えば1758年に生物分類学の創始者カール・フォン・リンネは、ホモサピエンスを四つに分け、それを受けついた一派が人種のヒエラルキーを理論構成し、ヨーロッパ人を指す「コーカサス人種(コーケイジャン)」という用語をつくり、このコーカサス人種こそが身体美の理想的な基準を示すものであり、他の人種はそこから徐々に逸脱していったものだと主張したのです。
その後も人種間の差異を説明しょうする人類学学者が多数輩出し、その結果は「コーカサス人種の頭蓋の平均的容量が最も大きい」とまで主張がなされ、白人優位説が欧米人の中に確立したのです。その差別思考を持った人たちである、ペリーに始まる欧米人たちが一挙に幕末日本に来て、日本訪問記で「日本人を専制的で小さく劣った人々して描き、アジア的で隔離された日本では進化と進歩がはるか昔に停止してしまっている」と表現し、その後も訪れた欧米人も同様の感覚で日本を判断し、その判断結果を「西洋化」ということを急いだ日本人が知らず知らずに受け入れ、認識させられていったのです。
 これがパリで若い日本人女性が内在的に持っていた、劣等感といえる所在の歴史であり、もしかしたら一般の日本人が内在している傾向と思います。

伝統力
 だがしかし、パリの若い女性が徐々に劣等感を解消させ、ハーバート大学教授が指摘する日本評価の理由を考えれば、日本人は世界に誇る江戸時代の「伝統文化」を持ちえているわけですから、つまらない過去世紀になされた根拠なき白人優位人類学的主張を排除すべきなのです。その試みの一つとして実は今回の「ぬりえNY展」を位置づけたいと思っています。NYという世界一の情報発信地で日本の「伝統文化」を受け継ぎ、そこから描いた世界一の「きいちのぬりえ」を積極的(アグレッシブ)に伝えるつもりです。以上。

投稿者 Master : 2006年04月05日 18:38

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